久しぶりにテープ起こしの仕事をした。1)超急ぎだったの、ちょっと泣いた
ある製造業界の集まりの開会式あいさつで、いくつかの専門用語以外、全体としては難しくも聞き取りにくくもなかったのだが2)してなまってもいなかった、なんせ、メーカーのおじさまのスピーチなもんで、ところどころぐちゃぐちゃぐちゃーっとしゃべってるところがやっぱりある。
例えば、スピーチの最後にすごい早口で「どむみゃさありゃたした」なんて言ってたりするのだ。しかし私はそれをちゃんと「どうも皆様、ありがとうございました」と起こしているわけ。
ま、それができるからお金をいただいているんだけど、ふとこれってすごいことなんじゃないの、と思った。日本語を勉強している外国人にこの部分をディクテーションさせたら、果たして文字に起こせるんだろうか。逆に中国語の听写でこんなに音が崩れていたら、私は絶対にお手上げだ。
小栗左多里とトニー・ラズロの『ダーリンの頭ン中 英語と語学』の中で、トニーがちょっとくずしたひらがなが読めず、そこからさおりが「ネイティブって判別できる幅が広いんだ」と悟るというエピソードがあった。
ネイティブと非ネイティブのこういう能力の差というのは、果たして量的なもの(その言語に触れる時間の決定的な差)によるものなのか、それとも人間の言語能力獲得に関係する質的なものなのか、ちょっと興味のあるところだ。子どものときに複数の言語環境で育った、いわゆるバイリンガルが、どっちの言語も中途半端になるということがあるようだが、高校くらいまでで母語を徹底的に身につけてから、第二言語を本格的に勉強したほうが結局はいいのではないかと思う。第二言語は、結局は母語より上手になることはありえないのだ。
無知で無恥だった若い頃には「バイリンガルだったらよかったのに」なんていうおバカな幻想を抱いたこともあったが、言語でお金をいただくようになって、だんだんと日本語の超ド級ネイティブであることをありがたく誇らしく感じるようになった。
日本語の力をもっと上げたいと思うし、そうしなければ中国語の上達もないと思う。
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コメント
こんにちは、cowleyさん!上の話題について、少し面白いことを。最近生徒さん(ほんとに入門~初級)と一緒に、生のCCTVのニュースの中で言っている「数字(日付や時間)」だけを聞いてみよう、というレッスンをしてみました。自分が現段階で音読不可能なスピードのものは、やっぱり何回聞いてもそう聞こえないみたいでした。耳と口って、やっぱり一体なんだなあと思うと同時に、第二段階として自分がその場面でその表現を使えるか(使うか)どうかも重要な要素になってくるんだな、と。
sang shanさん、こんにちは。
私も留学中の聞き取りの授業で「絶対そうはいってないだろう!」とつっこみたくなるような音のかたまりを聞き取る練習をやりました。耳と口って一体だから、音読練習やれ、と先生は言っていましたが、あんなに速くしゃべれないと聞き取れないのか、という悲しみのほうが強かったです。
そうですそうです!「ダーリンの頭の中」のその部分、とってもへぇ~と驚きました。
こつぶさんもそうですか。
あれだけ日本語が流暢なトニーが、あんな簡単なひらがなを読めないってものすごくびっくりでした。