なんで中国語を

10月、漢学院は行事だらけだ。やっと国慶節が終わって落ち着いて授業ができると思ったら、スピーチコンテスト、言語実践(要は旅行)、お楽しみ運動会(原文では「趣味運動会」。同班同学の絶妙な訳をちょうだいしました)と息つくひまなくぎっしり詰まっている。たぶん、寒くなる前に行事をすましてしまうのだろう。

スピーチコンテストはまず各クラスでやり、次に西安外語の留学生でやり、そこで代表を決めて陝西省の留学生の大会に進むという、高校野球のようなシステムである。今週は各クラスともスピーチ(もしくは朗読)をやるので、原稿を用意するようにと言われていた。

みんなそれぞれに苦労して作文したりしていたが、中には「何か話せなんて言われても話すことなんかない」と言っている子がいる。そんなこと言ったってしょうがないじゃん、何かひねり出して書けば?「もともとそんなに話すの好きじゃない性格の人もいるのに」ここまで聞くとちょっとカチーンとくる。

わざわざ中国まで留学に来て、もっと中国語のレベルを上げたいといつも言っているのに、じゃあ、それって何のためなの?どんなに中国語が上手でも、話すことがないんだったら、それは中国語が全然できないのと同じことじゃない。

中国にいたら言いたいことはいろいろあるはずだ。道につばを吐くな!レジにはちゃんと並べ!唇に瓜子の殻をくっつけたまま歩くな!だけどそれだけ言ったってダメだから、どんなときにそれを見たのか、自分はどんなふうに感じたのか、自分の国とどう違うのか、そういうことをどう表現したらいいのか調べたり、考えたり、人に聞いたりする、それこそが勉強じゃないかと私は思うんだけど。

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