ポストエディットについて考えてみた

翻訳
Gerd AltmannによるPixabayからの画像

中国語翻訳で需要が出るのはまだまだ先…と思っていたポストエディット。しかしコロナが後押ししたのか、実際に打診があったのです。

対応はそのときになったら考えようと思っていたのですが、思いのほか早く「そのとき」が来てしまった感じ。数日かけて考えてみました。

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

直観的にポストエディットはやりたくありません。しかし、通常の翻訳は減っています。今後、ポストエディットはどんどん増えていくでしょう。対応せざるを得ないかもしれません。

チェック作業はやっていますが、今は日本語→中国語のチェックだけです。訳文は基本的にちゃんとしていて、その中で変換ミスとか、数字の転記ミスとか、原文の理解の勘違いといったごく数パーセントのずれを見つけることが求められているので、仕事の質がまったく違うと思います。

ポストエディットを改めて考えてみる必要がありそうですが、これって、機械が訳すから、おかしいところだけ直して、その分安くして、ということですよね。なんとなく筋が通っているような気はします。

でも、ポストエディターは原文を読まなくていいわけじゃありません。訳文だけ見て直すのなら、翻訳者でなくていいわけですから。

原文を読み、文字にしないにせよ、いったんは訳してみて、機械が訳したものとの違いを探して、直していくのです。これは、自分で訳すより労力がかかっていると言えなくないでしょうか。

もう1つの理由。不完全な訳文を延々と読み続けなければならないのが苦痛です。そういう訳文に染まらないように気を張り、神経をとがらせてやり続けるのはさぞ大変でしょうね。だんだん気を抜くようになって、不完全な訳文に慣れてきて、「いい訳文」がわからなくなってしまいそうです。

実際に機械が訳したものがどれくらい「使える」のか、現物を見てみないとわからない部分もありますが、やはり納得して引き受けることはできそうにありません。

そんなことを言っていたら、いつかはお払い箱になってしまうかも、とも思うが、機械でない翻訳を求めているクライアントも絶対いるに違いない、とも思います。

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