廃品生活

こんな本読んだ
著者 : 胡嘉明,张劼颖
生活.读书.新知三联书店
発売日 : 2020-01
香港中文大学の女性研究者2人による、北京冷水村での社会学フィールドワークの成果。

冷水村は大都市と農村との境界。北京中心部のように家賃や物価が高くなく、管理も厳しくないために、よそから来た人にとっては暮らしやすく、同時に大都市北京での大量消費によって生まれるゴミや廃品によって経済を成り立たせることができる。まさにこの場所だからこそ、なのだ。
ゴミ・廃品処理は、本来ならば行政サービスのはずだが、そのサービスネットワークが完全に機能しているわけではないのだろう。だから彼らの存在する可能性と必要性が生まれる。ここで廃品を扱って暮らしている人は、農村部から大都市に来て働くいわゆる「農民工」とは違うという。「農民工」は企業によって管理されているが、冷水村の人々はそこには入らない。こうした通常の経済サイクルや行政の管理から外れる存在を「散工」と名付けている研究者がいるそうだ。
彼らには二重の葛藤がある。よそ者であることの葛藤。管理された農民工には、都市人口と同等の(あるいは近い)サービスが受けられるよう、門戸が開かれて始めているが、彼らはその範疇に入らない。そして、ゴミという汚れた存在に関わることの葛藤。この本では、彼らがどのようにしてこの仕事を始め、どう暮らし、どうやってこの葛藤を乗り越えて「尊厳」を守っているのか、を探っている。

さまざまな人が描かれているが、多くの人に共通していることがいくつかあった。
故郷に対する気持ちと、今生きている北京に対する気持ち。ゴミを処理してお金を貯め、故郷に誰も住まない家を建てる。これが「尊厳」だとしたら、あまりに悲しくないか。
子どもの養育と教育。子どもを故郷に置いておくか、手元に引き取るか。故郷の学校に行かせるか、北京の学校に行かせるか。北京で優秀な成績を取り、重点中学に入学させることができたものの、北京市民の子と差が開き、故郷の高校に転校して大学受験することになった子のエピソードは苦かった。
「自由」。北京の工場へ出稼ぎに来て、管理されて働くのに嫌気がさし、廃品処理に転じた人たち。実際には毎日朝から晩まで廃品を回収しているのだが、好きなときに行って好きなときに帰っていい、行きたくなければ行かなくていいのが何よりいいと言う。この気持ちはわかる。フリーランスは自分で自分の働き方を決められることが最大の魅力だ。

これまでの中国研究で見たことのなかった視点だが、結局描かれたのは都市と農村を分ける制度のひずみ。この本の限界というより、中国はどこから入っていっても、その問題にぶつかるのだということを証明したのだと思う。

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