私が感じた上海

エッセイ

1993年、私は3回目の訪中で初めて上海に行った。

今上海と言った時、メディアで真っ先に紹介されるのは、東方明珠を中心にきらびやかに輝く浦東地区の夜景だ。しかしその当時、上海を代表するのは何と言っても外灘(バンド)であった。

私がバンドについてどんなイメージを持っていたかと言うと。19世紀末から中国の先頭を切って、つんのめるように時代の先へ先へと発展してきた上海の象徴。重厚なれんが造りのビル、まばゆいネオン、美しく着飾った女性たち、華やいだジャズ、交わされる外国語の響き…。

今考えれば、いったいいつの時代を考えていたのかと苦笑いしてしまう。たぶん映画や写真や小説を通して、1920~30年代の上海の雰囲気にぼんやりとあこがれていた少女時代の影響だったのだろう。きっと上海は、それまでに行った北京の大きく、でも質素で、はにかんでいるような街並みとは違う。そう信じ、華やかな空気を想像しながら上海へ向かったのである。

そしてやってきたバンド、対岸の浦東地区はまだ見渡す限りの草っぱらという頃だ。重厚なれんが造りのビルの前で私が見たのは、大きく、でも質素で、はにかんでいるような公園だった。談笑するおばあさんたち、子ども連れの若い夫婦、内陸から働きにやってきたとおぼしき若いカップル。歩けば耳慣れない柔らかな上海語が聞こえる。みんな白やグレーの普段着を着て、のんびりと、慎ましく、でも上を向いて、前を向いて、歩いていた。北京の人と同じだった。

これが、当時の中国全体の空気だったのだろう。静かで素朴だけど、強さがあった。時代がかった勝手な想像をしていた自分を笑いながら、上海の人と一緒に歩いた。でも一つだけ、北京と上海で違っていたことがある。故宮でも長城でも、私が北京で見たのは、見渡す限りどこまでも続く地平だった。そのあまりの広さに、島国の人間である私は驚嘆したものである。

しかし上海のバンドで見たのは、長江から海へと続く広大な水面だ。そうか、上海の人は何千年もの間、これを見てきたのか。この水面にこぎ出せば、ここではないどこかに着く。ここではないどこかから、自分の知らない誰か、新しい何かがここへやって来る。もし私の想像していた上海があるとしたら、それはこの広々とした水面と、水面の先を見続けてきた人たちかもしれない。上海は世界と新しい時代を目指して歩き続けて来た。そしてこれからも歩き続けるのだ。

(初出:「中国網日本語版(チャイナネット)」2015年9月2日 私が感じた上海

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