引き続き

まだ中国語のことを考えている。

今さら一所懸命勉強しているのは、札幌に行って時間ができたから…というよく人に話す理由は別にウソではないのだが、そのほかに両親が亡くなったことが実は大きい。特に父が急な亡くなりかたをしたあと、何かをやらなければならない、と無性に思うようになった。

だから、私の中国語はいわば、時間を埋めたり精神的なスキマを埋めたりするためのもの。まだ東京にいたとしたら中国語ではなく武術の活動にさらに熱をあげていたに違いない。東京を離れて武術の主流からも離れ、他にやることがなかったから中国語を選んだだけなのだ。

これからの目標を聞かれて答えられないのは、だからなのだろう。もう留学もしてしまったし、これで大学院を卒業したら、あとどうやって勉強したらいいのか。というより、何をしたらいいのか。こわくて考えたくないという気持ちがどこかにあるに違いない。

といってもこの年になれば、何をやるにしてもあれこれ事情があるものだし、こんなきっかけだったとしてもやはり中国語に縁があったのだろうとは思う。…あーあ、またきれいごと言っちゃった。

P.S. しかし、「スキマ」というのをなぜカタカナにしたんだろうなあ。読み返しているとき、喪黒福造を思い出した。ココロのスキマお埋めします。ドーン!!!!

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コメント

  1. こつぶ より:

    cowleyさんが、もし中国語と離れようと思っても、離れられないでしょうね。やっぱ縁ですよね。目標とか考えれば考えるほど難しいです。ワタシみたいなおばさんが中国語をぼちぼち勉強する意味もそもそもなんなんでしょう?って感じ。ある人から見れば遠回りのけったいな道をなぜ歩いてるんだ?って感じかな。cowleyさんが道を歩けば、いろんな中国語の縁なるものが探さなくてもむこうからやってくるような気がしますよ。

  2. cowley より:

    振り返ってみると、中国語と縁が切れそうになったことも多々あるんですよね。でもその都度「もうちょっと勉強しよっかなあ~」と思ってしまうようなおいしい展開が待ち受けていて、もうずるずると。確かにある意味向こうからやってきてるんですよ。でもそれもズルい言い方で、自分から求めてる部分もあるんだろうなあ。あー、何言ってるかわかんなくなってきた。最近、アタマ悪いんですよ。すいません。

  3. sang shan より:

    cowleyさん、お久しぶりです。いつもブログ楽しく拝見してます☆
    さて、中国語との切っても切れない縁というのは、私自身もよく感じていることです。初めて中国語と出会ったのが12年前?になりますが、勉強してない期間のほうが8割(笑&涙)という不思議な付き合い方で今までやってきました。
    ただ、不思議なのは、人生に迷ったとき、疲れたとき、にっちもさっちもいかなくなったとき、そんなとき決まって中国語を思い出すのです(笑)。勉強している間は嫌なことも全て忘れられる(何かに集中できる)。将来、あわよくば中国語で何かができるのではないかと思ってしまう(笑)。
    もしくは、中国語を勉強したからこそ出会えた方もたくさんいるわけで、そうしたもの全てが中国語から離れなくさせてる大きな要因かも知れません。「何のために中国語を勉強してるか?」といわれると、正直答えに詰まる部分もありますが(中国や中国人がスキで好きで仕方ない、という乙女チック?な気持ちは持ち合わせていないので)、確かに試験が最終目標ではないですね…。あるいは、高級HSKがどのくらいの難易度か分かりませんが、テスト勉強を集中的にしたからこそ点が取れるものだとしたら、それは語学のテストとして客観的にどうかと思いますし…。あるいは優秀な通訳者こそ検定なんて受けたことがない、とはよく聞くところです(そうしたもので自己アピールする必要がないんですよね)。
    何書いてるか分からなくなってきましたが、お互いこれからも頑張りましょう。中国はこれから底冷えが激しくなると思いますが、体に気をつけて下さいね☆

  4. cowley より:

    sang shanさん、ごぶさたしてます。うなずきながらコメント読みました。北海道に引っ越して友達いなくてへこんでいたとき、中国語にしがみつき、そこでたくさんの人と出会ったことが私を西安にまでこさせる起爆剤になっていることはまちがいありません。やりがいを感じてることもまちがいありません。どんな形で中国語を続けていけば、この気持ちが保てるのだろうか。今考えているのはそれかもしれませんね。

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