30年すぎた後に思うこと


今日はやはりどうしても書かないわけにいきません。

あれから30年。私の中国への見方も30年という年月とともに少しずつ変わってきたように思います。

事件当時は、私も若かったし、もしかしたらバブルに(まだ)浮かれていたのかもしれません。自由であること、民主的であることが何よりも尊い、それを実現したからこそ日本はこんなに幸せになっているんだ、中国もそうなるべきだということを疑っていませんでした。きっと、多くの日本人と同じように、発展途上にある中国を下に見ていたのでしょう。優越感なのか、正義感なのか、自分でも判断のつかないまま、力で学生たちを押さえ込んだ共産党と鄧小平に未来はないと思いました。

でも30年たって、現実はどうでしょう。今や日本は中国に支えてもらわなければ、経済的に成り立っていきません。世界中でポピュリズムと自国主義が広がって、民主主義に疑問が投げかけられています。

たぶん大部分の中国人は、今の中国をとても幸せだと感じているでしょう。あのときの共産党と鄧小平のやったことは間違いじゃなかった、結果オーライだと。

もしかしたら、共産党は軍をさしむけて解決したことをものすごく後悔したのかもしれません。やってはいけないことをやってしまったと思ったかもしれません。だから、これからは幸せな中国を作ろうと思って真剣に努力したのかもしれません。今の中国を見ると、そんな想像(空想)さえしてしまうのです。

でも、これが30年という時間の答えなのでしょうか。そう思うのは悲しいと思う自分もいます。信念なのか、単に「三つ子の魂百まで」なのかわかりませんが、やっぱり許せないと思う自分がいます。

ほかに方法があったんじゃないか。力に頼らなくても、話し合って、ともに考えていけたんじゃないか。

歴史に「もし」はありません。力で学生たちを押さえつけた中国しか、この世にはないのです。大部分の中国人は幸せだと思っていても、人権を奪われ、口と手足を押さえつけられている中国人が今もいるのです。幸せだと思っている大部分の中国人も、口を押さえつけられているのかもしれません。

それをおかしいと思うことも大切にしたい。自分に何ができるわけでもないけど、それが自分の中国との向き合い方なのです。

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