コミュニティ通訳

医療通訳や生活相談など「コミュニティ通訳」について勉強し始めた。

コミュニティ通訳は、現状ではほとんどがボランティア。ボランティアで通訳をすることに対して、私はこれまで否定的だったのだが、「どうしてボランティアで通訳をすることになるのか」を考える必要があるのではないかと思うようになった。

これまで私がやったボランティア通訳は、報酬を出すべき人がおり、出せる条件があるにもかかわらず、ボランティアになっている、つまり「通訳費用を浮かしている」と感じられるものばかり。当然、通訳者のレベルも問われない。自分自身としては、「この通訳なら自分の力でできる」という自信を持ってやっているのに、実際には、もっともっと力のない「語学学習愛好者」レベルでもまったく構わなかったりする。

ボランティア通訳を「レベルなどどうでもいい、そのかわりお金も出さない」という考えで使っていることに対して、納得がいかなかった。そして、そういう見方しかされないボランティア通訳など、やるまいと思うようになったのだ。

ところが、最近あることがきっかけで「コミュニティ通訳」に関わりのある人と面識ができ、さまざまな話を聞くうちに、通訳の必要性もあり、高いレベルが求められるにもかかわらず、報酬を出すべき人が明確でなく、出せる条件が整っていないためにボランティアにならざるをえない状況を知った。

社会の少数派である外国人には予算を出そうとしない行政の無理解や、(特に中国を含むアジアに対して)外国人とのかかわりを避け、問題を無視しようとする社会の認知度の低さ。ボランティアということだけをみて、これもあれも一緒くたにすることは適当ではないんじゃないか。

もちろん私も、なんでもかんでもタダ働きというのはイヤだ。ときには「おいしい」仕事もしたい。だけど、どんな通訳をし、どんな通訳をしないかを決める際に、報酬の多寡だけが基準なのか。

そもそも、ほんとうに報酬など一切期待せず、困っている人に奉仕したいという自主的な活動がボランティアのはず。それを求められたときに、果たして納得して引き受けられるのか。

結局、それは自分自身の基準で決めることだ。その基準をはっきりさせるために、コミュニティ通訳について、もっと勉強する必要があると思う。

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コメント

  1. congzi より:

    理想的なのは仕事通訳もボラ通訳も用意されてる状態で、使う側が、ボランティアレベルでもいいのか、報酬を支払うべき人材が必要かを判断できる環境ですね。まぁ、大抵の人はタダのがいいと思うでしょうが(爆)
    問題なのは、医療みたいに命に関わるとか、刑事事件や犯罪に関わるとか、そういうところほど資金源がなくて、ボラ通訳に頼るしかないという体制だと思います。交通費すら出ないとか。奉仕と親切心だけじゃ責任取れないはずなので、報酬出して責任かぶる覚悟のある通訳者を使うべきだと思うんですが…たとえば生活相談とか、簡単な観光案内とか(イベントの会場案内や飲食店の紹介や場所を説明する程度)なら、ボラ通訳でもいいけど…
    貨幣報酬は卑しい、耐え忍ぶは美徳、という日本の伝統的価値観が、資本主義社会の金儲けに利用されてるだけなのが地方財政の現状ですかねー

  2. cowley より:

    ほんと、そうですね。
    外国人がいなくて対応しないですんでいた歴史が長いのかもしれないけど、実際に問題が出てきた以上、まずは行政側が資金を出して対応すべきじゃないかと思うんですけど。
    ボランティアで通訳してる人もそうだけど、外国人患者のために自主的に対応してる病院だとか、通訳をコーディネートしている人だとか、そういう中間の人たちもたいへんですよね。
    まあ、そういう部分にお金を出す自治体が徐々に出てきているということが救いでしょうか。北海道もサミットで喜んでばっかいないで、なんとかしてくれ。

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