4月から新しい仕事に就き、新幹線での移動が多くなった。
とはいえ、早朝か夜の短い距離での乗車が多く、新幹線の中で駅弁を食べる機会はほとんどない。せいぜい、何か飲み物を飲むくらいだ。
私はポットにお茶を入れて持ち歩く習慣なので、それがあればそれを飲むが、時には、ちょうどポットが空になっていることもあるし、気分転換したくて、お茶ではないもの、特にコーヒーを飲みたい気分になることもある。
温かい飲み物が好きなので、ほとんどの場合、ホットコーヒーを買うのだが、ごくたまに、「今日は気温が高い」とか、「なんだか、のどが渇いている」とか、アイスコーヒーが飲みたいことがある。
しかし、私にはアイスコーヒーを買う勇気がない。
冷たさとコーヒーの苦みが一緒になって、パカーンと目が覚めるような、一口めのおいしさ。ああ、さわやか。それを想像して、「よし、今日はアイスにするぞ」と思いながらも、いざカフェのレジ前に立つと、やっぱりどうしても「アイスコーヒー」と言えない。
それは、飲んだあと、氷の入ったカップをどうしていいかわからないからである。
ホットコーヒーならいい。全部飲み干せば、カップをそのまま駅のゴミ箱に入れればよいのだ。一件落着。
でもアイスコーヒーは? カップとストローはいいけど、この氷は? これをゴミ箱に入れたら、じわじわ氷が溶けて、ゴミ箱にセットされたゴミ袋の中がべちゃべちゃになるじゃない。もし袋に穴が開いてたら、そこから水漏れして、そこらじゅう、べちゃべちゃになるじゃない。
周りを見回すと、氷たっぷりのアイスコーヒーを飲んでいる人がいる。あの人、降りるとき、どうするんだろう。もしかしたら、ずーっと終点博多まで乗って、その間、少しずつ氷の溶けた水でのどを潤し、最後に空になってからカップを捨てるという計画なのか。
いや、降りたぞ。氷の入ったカップを持って降りて行ったぞ。どうするんだ、あのカップ? どうするんだ、氷?
いつもこんなことを考えてしまい、アイスコーヒーを(いや、オレンジジュースでも同じなのだが)買うことができない。
氷入りの飲み物を販売するカフェは、飲み終わったあとの氷問題をどう考えているのだろう。鉄道会社は、飲み終わって残った氷の処分をどうしてほしいと考えているのだろう。カフェの店舗には残った氷を回収するボックスがあるけど、新幹線に限らず、街中にもそんなものはないので、「飲み終わったけど、氷が残ってる」問題は常にあるはずだ。
たぶん、ほとんどの人が、というよりは、私以外のすべての人が、氷が入ったカップをそのままゴミ箱に投げ込んでいるのだろう。
仲のいい友人の顔を思い浮かべてみる。「ええっ、そんなこと考えたことないよ」「私は捨てちゃうよ、だってしょうがないじゃん」「別にいいのよ、氷を捨てたからって問題になったとか、聞いたことないよ」みんながそう言うのが目に浮かぶようだ。やっぱりこんなことを考えているのは私だけに違いない。
それに、ゴミ箱にセットされているゴミ袋も非常に丈夫で、使い回したゴミ袋ではなく、毎回新品をセットしているので、穴が開いているようなこともないのだろう。ゴミの量が多くて、溶けた氷の水はほかのゴミが吸収してしまうことも考えられる。
溶けた氷で水がたまったゴミ袋を片付け、漏れた水で水浸しのゴミ箱を掃除する清掃員さんが大変じゃないのかな……などと考えるのは取り越し苦労なのかもしれない。
ということで、勇気を振り絞ってアイスコーヒーを買った。おいしかった。
ところが、いざ飲み終わり、氷の入った空のカップが目の前に現れると、急に不安にかられる。
どうする、この氷?
やはり氷の処分をきちんと考えたうえで買うべきだった。私には、このカップをゴミ箱に放り込む勇気がやっぱりない。
大丈夫、どうでもいいよ、みんな捨ててるじゃない、捨ててもいいから売ってるんだよ、そんな細かいこと、気にする方がおかしいよ、と自分に言い聞かせようとしてもダメである。
ほかの人がどうであれ、清掃員の人がどうであれ、私はちゃんと始末してから捨てたいのだ。自分自身が、きちんと片付けてから捨てた、と思いたいのだ。
そう思うならそうすればいい。誰もやっていなくても、細かいこと気にしすぎ、でもかまわない。私が、気分がいいんだから。
降りる駅が少しずつ近づいてきた。氷の入ったカップを持って洗面所へ向かう。氷をシンクに落とし、蛇口をひねると、水ではなくお湯が出てきた。氷はあっという間に溶けて流れていった。
氷の入ったままカップを捨てる人には、バカみたいと笑われるかもしれないな。でも私は、これでいい。これで、次もアイスコーヒーを買える。
(初出:「天狼院書店 メディアグランプリ」2025年4月17日 アイスコーヒーを買えなかった理由)


コメント