大学院に入って中国語を本格的にやろうと思うまで、私はずっと街の中国語教室で勉強していました。お世話になった教室や先生たちについて書き留めています。
訓練発音…中国語を始める
私の最初の教室は往復はがきで応募する、タダ同然の「区民講座・中国語」でした。先生は大学在学中の帰国者で、たぶん中国語を教えた経験もあまりなく、半分ボランティアだったんだと思います。どちらかといえば優しげな、もの静かな男の先生でした。
その講座は平日の昼間だったせいか、中高年の主婦とリタイアした男性が全体の約90%で、同学たちは発音がとても苦手。経験のある人がいると思いますが、こういう場合、日本で長く中国語を教えている中国人は適当なところで発音をきりあげてしまうことがあります。しかし、私たちの先生は教えることにすれていなかったし、主催する区は予定の半年でテキストが終了しなければ、あっという間にもう半年延長してくれる太っ腹だったので、1年間というもの授業の3分の2は発音練習ということになってしまいました。
こう書いてみるとどんなに退屈な授業だったんだろうという気がしますが、実際には不思議なことに、私はその授業をつまらないと思った記憶は全くありません。
当時を思い出してみると、多分先生は発音を徹底的にやることについて、何か信念があったわけではないと思います。ただ単にネイティブとして聞いたとき、生徒の発音がわからない、わからないから練習させるというだけだったのだろうと想像しているのですが、結局それは外国語学習の発音についての基準を端的に表していないでしょうか。つまり、聞いてわからない発音はダメだということ。
発音がうまくなるには自分の口を使って繰り返すしかありません。そしてこの練習は1人でやるのはつらく、誰かに機械的にやらされる方が楽で、スポーツの基礎訓練によく似ています。基礎訓練をうまく飽きさせずにやらせることのできるコーチはいいコーチ。そういう意味で私の最初の先生はとてもいい先生だったとつくづく思うのです。
打好基礎…徹底して鍛える
「区民講座・中国語」の予定の日程が終了し、次に私はある有名な中国語の学校へ通うことにしました。中級クラスに半年ほど在籍したのですが、なんと最後の1ヶ月は学校に行くことなく終わってしまったんです。
今思い返してみると、平日の昼間、のんびりと外国語でも勉強してみようかというクラスの雰囲気にどうしてもなじめなかったのでしょう。しかしその時は理由がわからず、よくある挫折だと考えて中国語学習を中断することになりました。これ以降「有名な学校は長続きしない」という私のジンクスができてしまったのですが。
ともあれ、中国語を忘れられなかった私は半年ほどたった後、挫折した中国語に再挑戦すべく『ケイコとマナブ』を毎月熟読してある教室にたどりつきました。
そこは日中交流に長く携わっている年配の先生のやっている小さな教室で、仕事や勉強のため日本に滞在している中国人の先生とのマンツーマンが基本の教室でした。
担当になった先生が私の中国語の問題点を的確に把握して適切な指導をしてくださり、私の中国語学習はすっかり軌道に乗ります。それに宣伝にお金をかけず、生徒にこびを売らず「勉強したい人だけを受け入れる」というその教室が私には合っていたのかもしれません。結局札幌へ移転するまで10年以上そこでお世話になりました。
最初の教科書は中華書店発行の『新中国語 下』。そのテキストを終わり、『中国語中級会話』『トレーニング中国語』『中級中国語作文』などのほか、先生のコピーしてくれるさまざまなテキストをこなしていき、最後の2年くらいは簡単な通訳練習まですすみました。
授業は1回に1時間。時間がもったいないので、ある時から授業を録音してあとで聞き返して復習するという方法を取り入れました。使っていたのが安いレコーダーだったからというのもあるかもしれませんが、何度も聴きかえして酷使したので、1年ほどですぐにレコーダーを買い換えることになったほどです。
今でもその教室の様子は、昨日行ったばかりのようにはっきり思い出します。私の中国語の土台を作ってくれた、なつかしく、恩ある教室です。
打破僵局…きっかけになった経験
再度離陸した中国語が軌道に乗ってしばらくすると、壁にあたることも出てきました。なかでも中国語を始めて5~6年目の壁は高く、なかなか越えることができませんでした。私はいらいらして突破口や気分転換のための別の環境がほしくなり、ある大学の公開講座の中国語のクラスを受講しはじめます。
教えてくださった先生は、穏やかで聡明、日本語も非常に美しいので先生の前では「結局ネイティブじゃないとちゃんとは話せないのよ」などという愚痴めいたことは決して言えません。偶然パンフをみて授業料の安さで選んだクラスでしたが、先生の人柄にひかれ、先生がご主人と他県に移られるまでお世話になりました。
さてそのクラスで、ある時文法問題をやったのです。( )にあてはまる語を選ぶといった問題で、私はかなり間違えてしまいました。問題をやっている時、答えあわせをしている時、先生はクラスを回って1人1人の様子を見てくださるのですが、私があまりに間違っていたためか、クラスが終わって帰ろうとすると呼びとめられました。
それまで私にとって文法は「暗記すべきもの」にすぎませんでした。高校の英語や大学のドイツ語がそうだったように、中国語でも文法問題ができないのは虚詞だの、慣用句だの「暗記すべきもの」をまだ頭にたたきこんでいないからだと思っていたのです。
クラス終了後、先生に呼びとめられて「今日の問題は難しかったですか」と聞かれ、私は「まだあいまいに覚えていて迷ってしまうようです」と答えました。先生は少し考え、それから「問題文を読んでごらんなさい」と言われました。
言われるままに私はプリントを出して最初の問題を声を出して読みはじめたのですが、問題の( )にさしかかった瞬間、なんと選択肢を見る前に答えが口をついて出たのです。
あッ! と思いました。
先生はにこっと笑って「次も読んでみて」と言われました。次の問題も口が勝手に答えをしゃべっていました。
その時、私はぽかーんとしていたでしょう。今までにない感覚。頭を使っている時間さえない。問題文を自分の言葉として発音しようとすると、口が勝手にしゃべってくれる。口が文法を覚えていたなんて!
先生は「あなたのレベルならこの問題は全部できると思いますよ。考えるより声に出してやってみて」とおっしゃいました。
私は家につくのが待ちきれず、帰りの電車に乗るとすぐにプリントを出してぶつぶつ読みはじめたのですが、先生のおっしゃったとおり20問ほどの問題全部に正解を出せました。うそのようですがほんとうのことです。
このあとしばらくして私は中検の準2級(今の2級)に合格し、高かった壁を一気に越えた感じがしました。
語学において頼りになるのは自分の身体。聴いて、読んで、書いて、話した自分自身の感覚です。そしてその感覚を確かなものに、鋭いものにしていくことが勉強なのだと今は思っています。
多多益善…絶対的な量の力
大学の公開講座に通っていた頃は、勉強してもしても足りない気がしていました。大学生や留学生と違い、週に1、2回の授業しかないのです。
私はすっかり愛読書になった『ケイコとマナブ』でさらにこれは!という学校を探し当てました。そこはある企業の社員教育を目的とした部門のようでしたが、もちろん一般の人も参加でき、私がなにより気に入ったのは、授業は隔週だけど週末の土曜か日曜のどちらか、午前3時間 午後3時間 計6時間の授業を受けるという点です。
クラスは上から2番目の上級クラスに決まりました。2人の先生が午前と午後をそれぞれ担当してくださいます。午前は中国の時事ニュースを扱ったテキストをやり、午後は中国語の映画を字幕なしで聞き取っていく練習をしました。そして授業はすべて中国語ですすめていくのです。
新しい単語の意味の説明も中国語、聞き取ったせりふの説明も中国語。「何を言っているのかわからない」ということはありませんでしたが、1日に6時間集中して中国語を聞くのはかなり大変なことで、授業のある日は帰るとほんとうにぐったりしてしまいました。
しかし大変なだけのことはあるもので、2ヶ月3ヶ月と通ううち、授業のある日も最初の頃ほど疲れきるということがなくなり、中国語を聞くことに心理的な抵抗がなくなってきました。
そして半年ほどすると自分自身で聴力が格段にレベルアップしたと確信できるようになったのです。これはうれしい発見でした。
3年近くそこには通いましたが、けがで入院したのをきっかけにやめることになりました。やめる直前は1番上のクラスに上がって翻訳をやるようになり、授業すべてが中国語というわけにいかなくなってちょっと残念に思っていたこともあります。
勉強は少しずつでも毎日というのも大事なことだとは思いますが、語学においては、特に聴力は一定期間密度を濃くして勉強することが非常に有効だと思います。
留学経験のなかった私にとって、ほんとうに貴重な訓練の場を与えてくれた教室でした。
重新開始…もう1度中国語を
札幌に転居する前、しばらく翻訳専門コースに通ってみました。中国語の勉強に欲が出てきたからでもありますが、同時に自分の中国語の限界もばくぜんと意識し、あせりを感じるようになっていたからでもあります。
授業そのものはやりごたえがあったし勉強するものも多かったのですが、そのクラスでは居場所がないような違和感も多少ありました。もしかしたら、クラスの人たちはみな中国語学科卒、留学経験者といった人たちばかりで、何がしかのコンプレックスがあったのかもしれません。
結局1期、半年通っただけでそのコースをやめ、しばらくして札幌に移りました。しかし札幌ではこれはと思う中国語教室をなかなかみつけられず、東京を離れた寂しさもあって「自分の中国語はここまで」という気になりかかってしまったのです。
2年くらいは英語の勉強をしてすごしました。英語もそれなりに上達したのですが、そもそも欧米言語に距離を感じて中国語の勉強にはまってしまったわけだし、英会話教室でもしっくりこない感覚があって、とにかく中国語がやりたかったのです。
そんな頃、市の国際交流プラザの情報コーナーにあった「市内の語学教室」というたった1枚のプリントでみつけた教室。ただ教室の名前と住所・電話がリストされているだけのプリントだったのですが、何かピンと来るものがあったのかもしれません。数日後、私は住所を頼りにそこへ出かけていき、翌週にはもう生徒として勉強をはじめていました。
その教室はほとんど宣伝をしていません。しかも、口コミで問い合わせをしてくる人も全員入学できるわけではありません。先生は「くらいついて来れそうだと思う人しか入れない」とおっしゃっていて、私も最初に行った日にそれまでの中国語学習について先生から日本語・中国語両方で質問され、それが今思えば面接試験だったのかもしれません。
授業自体はもちろんきびしいのですが、おしゃべりをして過ごしたりすることもたまにはありました。先生はいつも「私が何を教えても、最終的には自分で勉強しなきゃだめだ。ここは『勉強しなきゃ』と思わせるようプレッシャーをかけるための場所だ」とおっしゃって、おしゃべりをして授業が終わってしまったからといってラッキーだと思っているような同学はいなかったのです。
東京でいくつかの中国語学校に通いましたが、これほどのレベルとやる気のある教室はなかなかないでしょう。札幌に移ってすぐここを見つけていればとつくづく思うのですが、しかし、しばらく間があったからこそ、この雰囲気が楽しく感じられたのかもしれません。本気で勉強するというのはどういうことか、ここで学びました。
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