昔の野望を思い出しました

コロナウイルスの影響で仕事がほとんどなく、家に閉じこもっているわけですが、本を読むのも、映画を見るのも、中国語を勉強するのも飽きて、何か別のことをしたくなってきました。

そこでむくむくと思い出したのが、「また論文を書きたい」。ここ数年、目の前の仕事を片付けるのに必死で、そんな時間も心の余裕もなく、あきらめたつもりでいましたが、こうやって思い出したところをみると、やっぱりあきらめてはいなかったようです。

過去のネタ帳を引っ張り出し、関連する本を図書館で借りてきました。どこでどんな形で実現するか、また忙しくなってつぶれてしまうかわかりませんが、当面は時間がありそうなので、あれこれ模索してみようと思います。結局つぶれたとしても、どうせヒマを持て余しているので。

論文の印刷

先日、論文の発表会がありました。前にもやってるんだけど、緊張しますね…。途中1ヵ所、副査の先生の質問に答えるとき、「ああ~こう答えたいけど、もしさらに深くつっこんだ質問をされたら破綻するなあ~かといって、こう答える以外の答えを私は知らないんだよなあ~」というところがあり、結局「こう答えて」しまいました。幸いにもさらに深くつっこまれることはなかったんですが、主査の先生(指導教員)にはバレバレだったと思います。次に会ったときに懺悔しよう。

発表会が終わって、やっと終わったという気分になりました。さて。

大学への論文の提出は、「印刷してパンチで穴を開けて紙のファイルで綴じる」だったのでそのとおりにしましたが、せっかく書いたんだからちゃんと製本したいなあ。大学院や中国語教室の恩師に論文を書いていることを報告してあり、もし読んでくださるのであればお渡ししたい。

前回は、パソコンのおまけについてきたモノクロレーザーを自宅で使っていたのでそれで10部印刷し、Kinko’sに持ち込んで、表紙の印刷と無線綴じくるみ製本だけしてもらいました。でもその後、パソコンを買い換えてモノクロレーザーがつながらなくなり…札幌のKinko’sがなくなり…。

そんなわけで、印刷から製本まで少部数でやってくれるオンラインサービスを探すことにします。PDFファイルを送り、仕様を指定して、お金を振り込むと完成品を送ってきてくれるところがたくさんありますね。私の論文はカラーページもなきゃ図もない、本文も表紙も白地にスミ1色、の超シンプル仕様ですが、それでもなかなかのお値段で、一瞬「先生に渡すの、パンチで穴開けたやつでいいかな」と思いましたが、片っ端からオンライン見積もりをやってみた結果、かなりお安いサービス(しかも、論文は10%OFF!)を見つけられたので、注文しました。満足です。

ところで、指導教員の先生と雑談しているとき、私が論文を印刷製本したほうがいいかと聞いたら、「どっちでもいいです」という冷めた返事だったんですが、続いて「私の時代は、博士論文はハードカバーで製本して、金文字でタイトルを入れるものでしたよ」と言われ、目が点になりました。

しかも後日、国会図書館で参考文献を探していたとき、実際にハードカバーで金文字タイトルの博士論文を見ました。ほんの数年前のでした。今回、オンライン印刷サービスをあちこち見ているときも、論文のハードカバー製本と文字入れサービスをけっこう見かけました。先生、「私の時代」じゃなく、今でもそうなんですね。

先生は「今は、印刷とか金文字とかよりも、まずPDFにしておくことが大事です」とおっしゃいます。そうですね、論文はネットで読んでもらう時代ですからね。というわけで私もまずPDFにしました。でも、そのPDFの最初の使い道は、オンライン印刷…。いいのかな、これ。

終了!

先日、仕事のほかに取り組んでいることがあると書きましたが、実は放送大学(学部)の卒業研究論文を書いていました。それがやっと、書き終わりました! バンザーイ。

大学院を出る時に、何らかの形で勉強を続けたいと考えていましたが、まあいろいろあって、ベストなやり方をずっと探していたって感じでした。卒業して終わりじゃなく、生涯学習として勉強したいなあと思っていて、でもせっかくなら納得のいくレベルの勉強をしたいし…と欲張り、方向性が見えるまでちょっと時間がかかってしまいました。

いよいよ大学に入ろうかなと思い始めた頃は、通訳と翻訳の仕事が多少はあるけど、ものすごく忙しいわけでもなく、収入の面でも時間の面でも勉強するにはちょうどよかったのです。なので非常に楽しく、どちらかというとのんびりと勉強を続けていました。

ところが、だんだん単位がとれてくるし、在学期間も期限切れに近づいてきて、このままでは卒業させられてしまう、いよいよ論文を書こう!となったタイミングで非常勤講師の仕事が次々に舞い込み、一気に時間がなくなってしまいました。ホント、これは誤算でした。

正直、この1年はきつかった。ただ、本当にすばらしい指導教員に巡り会えて(これは嬉しい誤算でした)、自分なりに一所懸命書きました。まだ審査は残ってますが、とりあえず一段落です。

今後のことは書き終わったら考えようと思っていましたが、今のところは、もう少しやってみたいという感じ。具体的にどうするかはこれから先生と相談します。

 

あと…この「生涯学習」について、いずれサイトの片隅に思うことなどを書こうかなと思っています。

勉強を続ける

中国語仲間のうち3人(!)が4月から大学院に進学することになった。まずは合格おめでとう~!

私が大学院に行ったのは中国語の土台を作るため、(もしうまくいくのなら)キャリアアップのためであって、きちんと腰を落ち着けて研究をするためではない。なので、卒業にあたって今後どうするか?という話になったときも、在学中からぼちぼちと仕事をいただけるようにもなっていたこともあって、研究を続けようとはとりあえず思わなかったし、そんなことを考える資格が自分にあるとも思っていなかった。

ところが不思議なもので、それなりに勉強し、苦労して書いた論文というのはつたないながらかわいいもので、「さっ、卒業しました、仕事もあるし、もう研究とはおさらば、ばっははーい」というふうにドライになれない部分があるものなのだ。

最初に大学院に行こうと思ったときとは違って、もしまた研究に戻るのなら、性根を据えてかからなきゃいけないということはよくわかっているし、今のところ仕事がおもしろいので、これを減らしてまた研究に戻るということは考えてないんだけど、でもどこかで「どんな形にしても勉強を続けたい」とも思う。

たわ言なのかもしれないけど。そんなことをずっと、ばくぜんと考えている。

卒業式

大学院の卒業式だ。

論文も不出来だったし、「はい、時間です~」と卒業するみたいな感じで、感慨もない。そもそも卒業だからといって感慨を抱くような初々しい年でもない。

でも卒業式の知らせが来るとなんとなくうれしいのは、区切りのセレモニーが好きな日本人だからか。

入学式で父兄席に案内されてしまった私は、絶対に卒業生に見える服はやっぱ袴かなあとばくぜんと考えていたのだが、この間高校の卒業式に出席したら、卒業生の担任をしていた女の先生の袴姿がすごくかっこいい。そんなところに知人が袴をもってるから貸してくれるという。着物は手持ちのがあるし、袴なら着付けも自分でなんとかなるだろう。お金出してセレブレートスーツ買って、ランドセルしょった新入生のおかあさんみたくなるよりははるかにいいかもしれない。

ってんで、袴。いざ着物を出してみると、妹に貸したか実家においてきたか、いい方の長襦袢がないとか、伊達締めとひもが足りないとか、太っちゃって肌襦袢が小さくなってるとか、色々問題が。でもなんとか全部を揃え、心配だったので着付けの練習もして、いよいよ今日は本番である。

朝もはよから起きて袴をはいて、だんなに見せたら

「おー……詩吟?」

確かに、詩吟やなぎなたの会にいそうな、ガタイがよくて声がでかいおばちゃんそのものであった。でももう今さらどうすることもできない。

大学に行くと想像どおり、お花満載でラメラメな袴姿の子ばかりで、詩吟のおばちゃんの迫力はこれはこれでなかなかであった。今回は袴姿だからというよりも、大学の職員とも顔なじみなので父兄と間違われることもなく、無事に卒業式をすませた。