雄霸

雄霸国内同行业

中国中央广播电台のニュースに出てきた単語。字を見るとまあ意味はわかるんだけど、辞書には載っていない。ネットで検索をかけると、

雄霸天下
雄霸市场
被连锁店雄霸

などが見つかり、動詞として使われているようだ。
ところが、中に名詞(固有名詞)として使われている例があった。1988年の香港映画『風雲/ストームライダーズ』に「雄覇」という登場人物が出てくるのだ。この映画の原題が『風雲之雄霸天下』(『風雲雄霸天下』になっているサイトもある)となっているんだけど、まさか…ここから使われ出した単語なのか…?
いずれにしても、中国中央广播电台のニュースで使ってるわけだし、すでに市民権を得た単語のようだ。

入金があったけど

ちょっと前にやった仕事、入金しましたの連絡をもらったので、銀行にすっとんで行って記帳したら、全然アテにしていなかったのにかなりの額が入っていた。ひええ、おありがとうございますぅ。

改めて今年に入ってやった仕事と入金状況を見てみたら、3月にやった分の翻訳料がまだだ。そっか、あそこは翌々月払いだから入るのは来月なんだね。するってぇと、これからお金が入るんだね!

通帳の残高がチャリーンチャリーンと増えていく映像がぼわわんと浮かぶ。どうしよう、こんなにお金持ちになっちゃって。

中国にでも行こうかなぁなんて、うきうきとインターネットで航空券の値段なんか調べていたんだけど、ふと我に返ると、今、こんなことしてるヒマがあるってことは、その次に入ってくるお金はないってことなんだね。このお金を使っちゃったら素寒貧ってことなんだね!

中国行きは凍結。ああ、仕事ほしい。

トライアルを受ける

応募した翻訳会社からトライアルが送られてきた。トライアルにこぎつけるだけでもなかなか大変なので、これはありがたいことだ。

見てみると、これまでやったことのない分野は相当てこずりそうな感じ。あああ、せっかくここまで来たのに。がんばらなきゃっ。

中国政府吊唁叶利钦逝世

吊唁
diàoyàn

弔問する、お悔やみを言う

おお、見たことのない字。“吊”にも“唁”にも“弔う、弔問する、お悔やみを言う”という意味がある。
ほかにも

吊丧
吊孝
吊慰

なんていう言い方もするようだ。
“唁”を含んだ語には、

唁函
悔やみ状
唁电
弔電
唁词
弔辞

などがあった。

裁判官の爆笑お言葉集

 
裁判官の爆笑お言葉集 (幻冬舎新書)
長嶺 超輝 (著)

この間読んだ『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』で勢いがついて読んでみた本。正直いって、面白くなかった。「懲役4年」は素人の純粋な疑問や感動が伝わって、それが臨場感になっていたんだけど、こっちの本は中途半端に玄人っぽくて、「あ、そ」としか言えない感じ。書きようによっては面白くなると思うんだけどね。

コミュニティ通訳

医療通訳や生活相談など「コミュニティ通訳」について勉強し始めた。

コミュニティ通訳は、現状ではほとんどがボランティア。ボランティアで通訳をすることに対して、私はこれまで否定的だったのだが、「どうしてボランティアで通訳をすることになるのか」を考える必要があるのではないかと思うようになった。

これまで私がやったボランティア通訳は、報酬を出すべき人がおり、出せる条件があるにもかかわらず、ボランティアになっている、つまり「通訳費用を浮かしている」と感じられるものばかり。当然、通訳者のレベルも問われない。自分自身としては、「この通訳なら自分の力でできる」という自信を持ってやっているのに、実際には、もっともっと力のない「語学学習愛好者」レベルでもまったく構わなかったりする。

ボランティア通訳を「レベルなどどうでもいい、そのかわりお金も出さない」という考えで使っていることに対して、納得がいかなかった。そして、そういう見方しかされないボランティア通訳など、やるまいと思うようになったのだ。

ところが、最近あることがきっかけで「コミュニティ通訳」に関わりのある人と面識ができ、さまざまな話を聞くうちに、通訳の必要性もあり、高いレベルが求められるにもかかわらず、報酬を出すべき人が明確でなく、出せる条件が整っていないためにボランティアにならざるをえない状況を知った。

社会の少数派である外国人には予算を出そうとしない行政の無理解や、(特に中国を含むアジアに対して)外国人とのかかわりを避け、問題を無視しようとする社会の認知度の低さ。ボランティアということだけをみて、これもあれも一緒くたにすることは適当ではないんじゃないか。

もちろん私も、なんでもかんでもタダ働きというのはイヤだ。ときには「おいしい」仕事もしたい。だけど、どんな通訳をし、どんな通訳をしないかを決める際に、報酬の多寡だけが基準なのか。

そもそも、ほんとうに報酬など一切期待せず、困っている人に奉仕したいという自主的な活動がボランティアのはず。それを求められたときに、果たして納得して引き受けられるのか。

結局、それは自分自身の基準で決めることだ。その基準をはっきりさせるために、コミュニティ通訳について、もっと勉強する必要があると思う。

世間はきびしー

数年前までは、私はこれから先、何を目標に中国語をやっていきたいのだろう…などとふらふらしていたのだが、ハタと考えてみると、曲がりなりにも(少しは)中国語でお金を稼ぐようになっている。

プロでございというのはまだまだおこがましく、どんな仕事でもやっていこうとは思っているのだが、このところ大学院がおわったので欲張ってあちこち顔を出してみて、まだほんとうの意味で覚悟ができてなかったんじゃないかと感じている。語学の能力だけを切り分け、きれいで見栄えがよくてお金を効率よく稼げる仕事をしようと思ってたんじゃないのか。

覚悟もさることながら、そんなお嬢さまみたいなことを考えていてはお嬢さまみたいな実力しかつかないとも思う。量をこなせること、スピードがあること、語学以外の知識が広いこと。

勉強するしかないのである。