1978年、冬。

1978年、冬。
チャン・トンファン (出演), リー・チエ (出演), シェン・チアニー (出演), リー・チーシアン (監督)


美しい景色、重苦しい空気、無口で無表情な人たち。悲しい映画だった。

1978年は不思議な年だ。自由で開かれた中国に向かって歩み出した年だけれど、まだ文革の圧迫の方が強く、見いだせるはずの希望がなかなか見えてこない。そんな感じがした。

本当に1978年がこんな空気だったとしたら、その後の30年は奇跡以外の何ものでもない、確かに。

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巣ごもり映画は、やっぱり迫力がないですね。プロジェクターとスクリーンを買いたいです。

Microsoft 365の更新時期になりました

ソフトもサブスクリプションが増えてきましたが、MicrosoftとAdobeはほんとに高いですね。Adobeのソフトは自分の趣味で使っているだけなので、かなり前のバージョンを使い倒していますが、Officeはそうはいきません。

翻訳会社によってはバージョン○○以降のMicrosoft純正版必須と要求される場合があるし、そういう要求がなくても、代替ソフトは細かい部分の互換性が気になる(特にパワーポイント)ので、使うのは躊躇します。

余計な心配をせずに翻訳に集中できるので、不満もあるんですが、必要経費と思ってMicrosoft 365 Personalを使っています。

更新時期は毎年12月下旬。特に決めているわけではなく、なんとなくそうなりました。忘れないようにカレンダーに書いてあるので、もうすぐだなとは思っていましたが、ちゃんとメールでリマインドがきました。もうそろそろ買っておいてもいいでしょう。

Microsoftのサイトで自動引き落としされると12,984円ですが、Amazonで買うと11,581円です。手間もたいしてかからないし、少しでも安い方がいいのでAmazonでダウンロードコードを購入しています。

Amazonに行くと、Microsoftのキャッシュバックキャンペーン中ということがわかりました。12月4日~24日に購入し、1月31日までに郵送で申請すると3,000円返金されます。やった~!

さらにカートに行くと、なぜか「プロモーション」として1,158円割引になっていて、最終的に7,423円で更新できました!

こういうキャンペーンがあるときに買うといい、とは知っていましたが、実際に恩恵にあずかったことはあまりないです。偶然だけど、12月というのはキャンペーンがよくあるタイミングなのかもしれません。

来年も更新時期にキャンペーンがないか、気にしておこうと思います。

自粛が続いてのんびりが極まってきました

しばらく更新が滞っていました。

仕事はまだじわじわと減っていますが、定期的な案件があるのでゼロにはなっていません。1つ1つは少量なのですが、5件あって完全休業とはならないのでありがたいです。

もう1つの活動(武術太極拳)も完全ストップだったのですが、考えられる感染対策をきちんとして、活動を再開しようという動きが10月から少しずつ出てきました。

それでも不安があるから参加しないという人もいれば、「家族に反対されるから」という理由で参加しない人もかなりいます。しかたがないですね。

再開された活動は、いつもより人数は少ないですが、火は消えていないという感じです。

それから、来年の行事に向けての準備も始まりました。やれるかどうかはそのときにならなければわかりませんが、かといって準備をしておかないわけにはいきません。

そんなわけで、完全引きこもりの状態から抜け出しつつあります。しばらく何もしていなかったので、ちょっとの作業でもすごく大変に感じて、日がたつのが早いです。

自粛が始まった頃は「このチャンスに勉強しよう」などと思いましたが、漢文を復習して、通訳翻訳フォーラム(オンライン)に参加したくらい。すっかりのんびりに慣れてしまって建設的なことはあまりできていません。

時間ができたらあれもやろう、これもやろうと思っていたのに、この体たらく。今となっては、何を勉強しようと思っていたのかさえ思い出せない…。

まだ焦る気持ちになっていないのだから、のんびりしててもいいかなと思い、無理はしません。

そのうち思いついたら何か始めるかも。でも、何もやらないうちに、コロナ禍が収束してバタバタになってしまうかも。

どちらもいいことだと思います(ゆるゆるだ)。

本日のお散歩写真。

神より大きな存在について考えさせられた芝居と本

先日、知人に招待されて、Theatre Company shelfの『Rintrik-あるいは射抜かれた心臓』を見ました。

作品について私が持っていた予備知識は、インドネシアの小説を舞台化したものだということくらい。真っさらな状態で見たと言えるでしょう。

感染症に配慮して人数を制限し、換気に注意しながら行われた舞台。無機質な舞台装置、特別な衣装はなく、現代のごく普通の服装は、かえって芝居の意味を純粋に考えさせるものでした。

舞台は緊張感と迫力に満ち、素晴らしかった。難解ではありましたが、結局のところ芸術作品を100%理解することなどできないし、100%の理解などないと思うのです。自分のわかる部分を大いに楽しめばいいと思って見ました。

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ところで、舞台を見に行く数日前から、ドン・クリック『最期の言葉の村へ 消滅危機言語タヤップを話す人々との30年』を読んでいました。パプアニューギニアの消滅危機言語を調査したフィールドワークのエピソードを綴ったものです。

調査は非常に価値の高い学術研究ですが、この本は学術書ではなく、現地の人々との調査中のあれこれがフランクに書かれていて、それが逆に現地の様子をより鮮やかに映し出しています。

数日この本にはまり、私はかなり詳細に、パプアニューギニアの熱帯雨林の奥地にある小さな村ガプンをイメージしながら読んでいました。

この本の中に「パプアニューギニアのほかの多くの社会と同様、ガプンでも、人が何かをする意図があったのかどうか、その出来事に責任があるかどうかは、あまり重要視されないことが多い。なぜなら、人は常に自分の外にある力によって動かされているという考え方があるからだ。」という記述があります。

どんなことをしても「何かにそうさせられた」と考えるのです。個人の意志や責任という概念がしっかり根づいている西洋や日本の人には、この考えは理解できません。ぎっしりと濃密な熱帯雨林の中で何千年も生きてきた人たち、あらがえない自然への敬服なのか、この考え方は非常に印象深く感じました。

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そして、舞台。

Rintrikという老女は、不思議な存在として描かれています。ある事件が起こり、彼女は村の猟師に銃で撃たれそうになります。そのとき、彼女は、猟師に向かって「何か大きな力がおまえにそうさせているのだ」と言うのです。

それを聞いたとき、私の頭の中で本の記述と、舞台のせりふがカチーンとぶつかり合いました。

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インドネシアとパプアニューギニアとは隣同士、熱帯雨林の国です。宗教で言えば、インドネシアはイスラム教、パプアニューギニア(ガプン)はキリスト教が入っています。

しかし、こうした外来宗教が入るずっと以前から、圧倒的で暴力的とも言える自然の力への畏怖、人間の力ではどうにもならない何かの力への服従という共通した感覚がどちらの国にもあったのではないでしょうか。

本に描かれたガプンの人々の暮らしと、そのどうしようもなさのイメージから、私にはそう思えたのです。

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舞台の感想として、劇団の知人にそれを伝えると、『Rintrik』の原作者ダナルトはジャワのケジャウェン(※ヒンズー、アニミズム、イスラムがミックスした民族宗教)の精神的な教えをルーツに持つ、神秘主義的な作家だと教えられました。それを聞くと、熱帯雨林からの連想はあながち的外れでもなかったのかもしれません。

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もう1つ、芝居の中に印象的なせりふがありました。「神はこの上なく崇高だ」と言う村人に向かって、Rintrikは「神の崇高さをおまえが決めるなど、なんと傲慢な」と言うのです。

そう、その通りです。「この上もなく」という形容はまさに最上、何にも比べられないことを示しているようですが、何にも比べられないと判定する資格が人間にあるのでしょうか。

そもそも「神の崇高さ」は測れるものなのでしょうか。測れないとすれば、崇高さはないに等しい。だとすれば、「神」とはどんな存在なのか。

いや、一神教ならば「神」と言えばすむ。熱帯雨林の圧倒的自然、人間の外にある何か大きな力、神ではない、何かそういった存在。もし、それがあるなら、いったい何と呼んだらいいのでしょう。

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こうして舞台を見終わった後、穴埋めするように作品について考え、勉強していったのですが、そこでもう1つ知ったことがありました。

作家ダナルトは『Rintrik』を書いた時、1960年代にインドネシアで起こった共産党関係者大量虐殺事件(これについては、「インドネシア大虐殺はなぜ起こったのか(倉沢愛子)」に詳しい)と、それを描いたドキュメンタリー映画『アクト・オブ・キリング』を意識していただろう、ということです。

これは衝撃でした。こんな大事件、人間として許されていいはずのない事件。これも「自分の外にある何かの力に動かされてやった」と言えるのでしょうか。そう言って終わらせてしまっていいのでしょうか。

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典型的日本人である私には、一神教の「神」の理解は難しいです。といいつつ、八百万の神はどこかで尊重しているところがあります。そして、神も仏もない卑俗な人間であふれる大都会に暮らしています。私も、その卑俗な人間たちの1人。

何も考えなければ、それで一生を終えられるかもしれません。現代の日本の大都会は、忙しい。でも、立ち止まって、神とは何か、自分が何を信じているのかを考える時間があってもいい。その時間をもらえた経験でした。

発表のてんまつ

少し過ぎましたが、而立会の発表、終わりました。しかし、無事に…というわけにはいかず。

うちはケーブルテレビ+インターネットです。発表の前日は台風の影響で、かなりの雨でした。夕方から外出したのですが、直前まで私はパソコンでネット検索をしていたし、夫はテレビを見ていました。時間になったのでそれぞれ消して外出し、夜9時頃帰ってきてテレビをつけたら、信号が来ていない。スマホやパソコンを見てもネットがつながっていない。

過去に落雷でこういうことがあったので、通信モデムとルーターの再起動、家のブレーカーの点検などをしましたが、一向に復旧しません。スマホでサポート情報を見ても、地域の不具合情報はなし。土曜日の夜、サポートセンターも時間外、1本だけ年中無休の問い合わせ電話は何度かけてもつながりません。その間、何度もモデムとルーターの再起動をしたり、テレビの配線をいじったりしていましたが、もう打つ手がなくなり、「翌朝には直ってるかも」とかすかな期待をかけて寝ました。

翌朝やっぱり気になっていたのか、早く目が覚めたので、見てみたけどやっぱりつながっていません。さっそく年中無休に電話。粘って待ってやっとつながり、状況を説明すると、調査するからしばらく待てとのこと。案外早く調査が終わったのですが「こちらからの信号の応答状況を見ると、マンション全体に不具合が発生しているようです」と言うではないですか。

すぐに現地に向かうけど、復旧は何時になるかわからないというので、慌てました。今日、これから、オンラインで発表しなきゃいけないのに!!!

考えたあげく、オンライン会議でしゃべってもOKな個室ありネットカフェをスマホで探し、とりあえず出かけてみました。ところが、日曜日の朝だっていうのに満席です。さらに検索して予約のできる個室ありネットカフェも見つけましたが、満席。さらに探そうとしましたが、焦っているので、スマホのノロノロした検索も腹立たしいばかり。

もう家でスマホのテザリングで(きっとぶつぶつ切れるに違いない)会議に参加するか、ノートパソコンを持ち出して、近くのホテルのデイユースでwi-fiにつなぐか(きっとそんなに速くないだろうな)…と思いつつ、とにかくいったん家に戻ると、なんのことはなく、回線が復旧していました。半泣き。

すぐに会議に参加しましたが、なんだかバタバタしていて、それどころではなくてろくな昼食も準備しておらず、よくわからないうちに発表を終えて、クタクタになりました。

ネットがつながらなくなったのは事故だし、発表の日に当たったのも誰のせいでもないし、考えても身体に悪いし、もういいです。

でも例えば、納品する時間帯に不具合が起きるとか、本当に何かあったときのために、何か代替手段か、駆け込めるネット環境の整備された場所を見つけておかないとマズイよね……とぼんやり思いつつ、一大イベントが終了したのでした。