相原茂先生が亡くなったことをSNSで知りました。驚きました。
友人も言っていましたが、私くらいの年代で中国語を勉強していた人で、相原先生の著作にお世話になっていない人はいないでしょう。
NHKの中国語講座に出演されたり、辞書を編纂されたり、たくさんの中国語エッセイを書かれたり、中国語学習者にとっての道しるべをたくさん残された先生です。
実は初級中級の頃、私は文法書というものを持っていませんでした。もっぱら教科書の文法説明に頼り、たくさんの文例に当たって、自分の頭の中に体系を構築していくという「体当たり方式」で中国語を勉強していました。文法書を読むなんて優雅だなどと勝手に思っていて、ずいぶん馬力があったなあと思います。
当時、同学たちの多くが持っていた文法書が(改訂前の)「やさくわ」でした。
相原先生の「Why?」(こちらも改訂前)の出版もおそらく1、2年しか違わないと思いますが、なにせ「Why?」は判型が大きく、中国語教室に通う時に持っていくのはちょっと重くて不便で、あまり持っている人はいませんでした。
私は後に大学院で中国語を系統的に勉強するようになって、やっと文法書を読むようになったのですが、主に中国の文法書に当たっていたので、日本で出版されているものは依然としてあまり見ていませんでした。
結局、私が日本の中国語文法書を強く意識したのは、中国語を教え始めてからです。
使っている教科書に沿って授業を進めていくのですが、それがどういう表現なのか、どういう言い方が正しいのか、どういう言い方をしてはいけないのかなどは自分の頭の中にある蓄積でわかっていても、それをわかりやすく説明することが難しい、どう言ったらいいのかわからないと思うことがありました。
当時、恩師に「難しいことを難しく言うのは簡単だけど、難しいことを簡単に言うのは難しい」と言われましたが、本当にそれを心底実感しました。
その時、私が頼ったのが日本の中国語文法書です。大学の図書館で「Why?」を開き、相原先生がどう文法を説明されているのかを参考にしました。
そうか、なるほど、こういう説明をすればわかりやすいんだ、と思ったこともあるし、自分の頭のなかの文法の構造を組み立てなおした方がいいと気づいたこともあります。
やはり早いうちに文法書をきちんと読んで理解していけば、頭の中の体系が正確に早く構築されるでしょうし、それが本来の勉強のしかただと思います。
ただ私にとっては、ある程度中国語の勉強が進んでから「Why?」を読んだことが、いい勉強になりました。初級中級の頃に読んでいたら、私の性格ですから、読むそばから忘れていくか、字面だけ覚えるかで終わっていた可能性が高いですし、「体当たり+後から遅ればせながら実感」方式が合っていたと思います。
相原先生に関する私の一番の思い出はこれです。なんかしょぼい。
それでも、中国語を勉強する過程でいつでも相原先生のお名前を目にし、耳にする機会がありましたし、書かれたものをたくさん読んできました。こうやって勉強を続けるのだよとおっしゃっていたように思います。
もう道しるべを残してはくださらないのだと思うと、残念で寂しいです。
ご冥福をお祈りします。
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