皿が割れてしまった。よくあることなのだが、この皿は亡くなった父が作ったものだったのだ。
父は典型的な「昭和の男」で、無趣味というか朴念仁というか、とにかくヒマなときにはボーッとしているだけだったのだが、高齢の祖母のめんどうをみるために住み慣れた東京を離れて田舎に引っ込んでから、多趣味で飛び回っている母につきあって慣れない趣味などをぼつぼつ始め、その一環として陶芸教室で何枚か皿を焼いた。
とにかく厚くて重くて、まったく日常で使うには向かない皿だったのだが、唯一のとりえはその大きさ。どかっと作ってどかっと置けばオッケーという大皿料理は主婦の味方なのだが、大皿ってけっこうするんだよね。ある一定の大きさを超えると、そこからは一回り大きくなるごとに倍々で高くなってく感じ。大きな皿がほしいなあと思いつつ、なかなか思い切って買えなかったので、父が亡くなって家財道具を処分するとき、重たい思いをして持ってくることにした。
とくに最近では、私よりも、なぜかラーメンサラダにはまっただんながこの皿を愛用していて、テーブル→流し→水切りかご→テーブル→流し→水切りかごと、ほとんど食器棚におさまるヒマがないくらいだった。
それを、割っちゃったんだねえ。料理をしながら、使おうと思ってキッチンの隅のラックに置いたんだけど、何かの上にのっかって斜めになってたらしく、しばらくしてすべってがちゃん。あっらー。
父も母も「形あるものは必ずこわれる。人は必ず死ぬ」という哲学をもっており、それを聞かされて育った私は「せっかく使いやすい大きさだったのになあ、しょうがないわねえ」くらいに思っていたのだが、だんなのほうがショックだったらしく、「お父さんが作ったやつなのに」とちょっと機嫌が悪くなってしまった。
ところがその後、処分するつもりでいったんは紙袋に入れておいといたのだが、ふと処分したくない気持ちになってしまったんである。瞬間接着剤ならきれいにくっつくかしら、なんて魔が差す。『初恋のきた道』にもありましたねえ、先生の使った茶わんが割れちゃって、お母さんが修理に出してやるシーン。
そういうふうにモノに執着しちゃうと、モノに何かが宿っちゃって、モノに支配されちゃうのよーん、やっぱ、捨てたほうがいいわよーん、と思うのだが、こうやって迷う時点でもう執着しちゃってんだよね。
ああ、どうしよう。
Copyright secured by Digiprove © 2019
コメント
ああ、見事な割れっぷりですね...。
私も最初に写真を見た瞬間、「初恋の来た道」のあのシーンが思い出されました。蛇足ですが、今の日本でも、ああやって瀬戸物を修理できる方、まだいらっしゃるのでしょうか?
Shiraさん
見事でしょう。この割れっぷりが未練を残すんですよ。粉々になれば直そうとは思わないでしょうから。
sang shanさん
あの修理シーン、印象に残りましたよね。穴をあけるとき、よく割れないなあと。日本はおろか、中国にもああいう修理ができる人がまだいるのか、疑問ですね。
お父様が作ったとなると、なんとかならないかと思いますよね。料理に使えなくても、何か用途があるんじゃないかとか…。
母方かた伝わった明治初期からの食器セットがあるんですけど、使わないけど奥にしまい込む気もせず、時々見ては
「かわいいねー」
などと言ってます。来客時にあのとっくりで燗をしてみようかな。
明治初期の食器! テレビ東京のあの番組に持ち込んでみたい。好きな人にはたまらないでしょうねえ。